二つの大戦に挟まれた1920年代から1930年代は、映画の絶頂期であったとの説がある。
この時代に、映画で可能な表現の殆どが出尽くしてしまったという人さえいる。
「カリガリ博士」 は1919年の作品だから、その嚆矢と言えようか。まだサイレントの時代だ。
〈
ドイツ表現主義〉と紹介されている一連の作品群、
ムルナウ 「吸血鬼ノスフェラトゥ」 や
フリッツ・ラング 「メトロポリス」 カール・ドライエル 「吸血鬼」 などは京都で生活を始めた
20代はじめの頃、当時盛んに行なわれていた映画の自主上映会で見る機会があった。
16ミリ映写機が薄汚れたスクリーンに映し出す映像は、怪奇と幻想そして空想の物語だった。
そのころ覚えた
シュールレアリズム、という言葉とも関連していた。
イマジネーションが刺戟されて、ワクワクとした精神の高揚感を味わったことを覚えている。
「カリガリ博士」は
ロベルト・ヴィーネ 監督作品。
見世物小屋の催眠術師カリガリ博士による、夢遊病者チェザーレを使った連続殺人事件。
友人を殺されたフランシスは、カリガリ博士を疑い身辺調査をして精神病院へと追い詰める。
院長室で見つけた古い本には、見世物師カリガリの夢遊病者を使った殺人の記録が。
ところが院長の正体こそがカリガリ博士であった。すべてはフランシスの妄想だったのか。
精神を冒されているのはカリガリ博士なのか、それともフランシスなのか、最後のどんでん返し
があっても疑わずにいられない。
夢野久作 の
「ドグラ・マグラ」 を思い出した。
不安を想起させる歪んだ美術・装置、陰影を強調した照明、特殊なメイクなど、ややオーバー
ながらも視覚的効果を計算し尽くした、極めて実験性の高い映画であった。
集中してこうした映画を見ることが出来た環境にあったのは、今更ながら幸運だったと思う。