若冲 である。誰がなんと言おうと一番好きなのは、若冲だ。
芦雪に始まって、若冲に至った。これに蕭白を加えたら、江戸三大奇想画家になってしまう。
まぁ、いい。世間がどう評価しようとも、若冲が凄いのは変わらない。
伊藤若冲 は京都の老舗青物問屋の四代目として、なに不自由ない暮らしが出来た。
ところが彼は、読み書きそろばんよりも絵を描くことを得意とし、商売には身を入れず早々に
隠居して、酒も呑まないし人付き合いもあまりしないで、絵だけに生きた。
細密で色彩鮮やかな花鳥画を見ると、その人となりが伺える。
若冲は鶏を飼い、毎日飽きることなく観察していたという。とことん視る。徹底して観る。
そうすることで、常人には見えないものまで見透すことが出来た。
若冲の目のフィルターを通ることで、写し取られたものは一層輝きを増す。新たな生命力が
持ち上がるのである。動植物はことごとくその掌中に採り込まれた。
「旭日鳳凰」 「老松孔雀」 「南天雄鶏」 「紫陽花双鶏」 「鶏頭蝙蝠」 「群鶏」 「紅葉小禽」
「池辺群虫」 「群魚」 「鳥獣草花」 どれ一つとして息を抜かせない。
そして 「鳥獣花木図屏風」 の升目描きは、今日のデジタル・アートを予見している。
さらに 「菜虫譜巻」 は博物図鑑そのものだ。
生涯独身であったため、身の回りの世話は妹がしていたそうだ。
相国寺内に庵を借りて住み、晩年は石峰寺に移った。
85歳で亡くなるまで、絵描き三昧の生涯だった。