先週水曜日から今週月曜日にかけて「最強の寒波」がやってきて、列島は大混乱だった。とりわけ、記録的な大雪に右往左往させられたところが多かったようだ。
本州最南端では雪こそ降らないまでも、冷え込みの厳しさは寒さに慣れない体を竦ませる。ここにきて春の陽気に、やっと体がほどけてきたところである。
来週は「強烈な寒波」だという。う~ん、困ったもんやで。
16日、たまたまこの週末に読んだ、門井慶喜『銀河鉄道の父』が直木賞を受賞した。
宮沢賢治の父、政次郎の視点から賢治を描いた小説で、読み始めてすぐ「おっ、これは面白い」と思わせられる、韻律のある文章に取り込まれてしまった。
この感覚は、中島京子『イトウの恋』を思い出した。まったく関連はないけど。
賢治に振り回されながら、親として子を捨置けない政次郎。本になった賢治の詩を、夜っぴて何度も何度も繰り返し読む政次郎。あらためて、詩はこんな風に読むものなんや、と政次郎の思いの深さに感じ入った。
次に読んだのは、秋山龍三『「食事」を正せば、病気、不調知らずのからだになれる』という長いタイトルの本。身を縮めて炬燵に潜り込んでいたとき、たまたま手近にあった本を開いたら、最後まで読んでしまった。自然食養学を提唱する著者の、体験に基づく自然食への誘い。サブタイトルは『ふるさと村のからだを整える「食養術」』。
禿頭爺も若いころ、自然食の勉強をして少しだけ実践もしてみたことがあったので、どれもこれも納得の内容だ。献立は食指をそそるものばかりで、結局は原体験としてある田舎の食生活に近いおかずが並び、その美味しさを知っているからやろな。
あの頃(昭和30年代)は玄米は食べてなかったが、副菜は手作りが当たり前でほとんど自給自足だったし、豊富に獲れた魚だけは(今考えると)超豪華な食卓だった。
本の中にあった「今食べるものが、20年後の体をつくる」から、今回の表題とした。
昨日17日は、23年目の1.17だった。毎日玄米を炊いていた圧力鍋があの地震で潰れてしまい、それから自然食実践の真似事もおざなりになってしまった。