一所不住



ぬばたまの宵に遊びし月の舞

26日、5年ぶりに夏の京都へ出かけた。例によって例の件で、やっと行けた。
電車に乗るのも久しぶりなら、人混みの中を歩くのも同様。人いきれに酔うなんて、すっかり田舎のジジイである。

さて、伝統芸能の世界では、高齢になっても現役を続ける人が多い。歳を経るほどに芸を深め、進化していくのが当たり前のように行われている。
それが、現代芸術の舞台となると、体力の衰えを表現力で補うことがままならない場面を目にする機会が、比較的多くなる。

ところが、60代半ばの年齢である彼らは、同時代芸術で明らかに進化を続けていた。
公演のたびに面白い場所を探し(今回は大正モダン建築の洋館ビル)、その場の空気を感じながら想像をふくらませていく中で、踊りを見つけ、組み立てていくような作り方をしているのではないか、と思われる舞台は、常にうれしい発見をもたらしてくれる。

随所に新しい着想や工夫が見られ、見せ方を心得た演出は、練達者ならではのもの。
また、無理を強いていた時期もあった身体は、無駄な動きが少なくなり、自分で統制がとれてきているように見えた。今のからだと真摯に向き合っている気がする。

とまあ、抽象的な言葉ばかり並べているが、まさにそうした抽象の寄せ木細工が、彼らの舞台である。「舞踏」とか「ダンス」とか、一般的な言葉で括れないのだ。
見る方は、提出されたものから何を感じるか、ということだから。

もっとも印象に残ったのは、黒ずくめの男4人が首から下げた小さな明かりで顔だけ照らし、窓の外に立っていたシーン。何よりも、黄昏時から宵闇が深まる外の時間が、常に見えている設定が良かった。正面奥のオブジェへの期待も高まった。

確かに、光の美しさ、音楽の選曲、造形物や衣装と小道具の面白さ、空間の使い方、あるいは振り付け、演出、構成などなど、挙げればいくらでもあるが、禿頭爺の少ない語彙では伝えきれないから、見るしかないのである。

ともあれ、カーテンコールの拍手をしながら、こんなかっこいい人たちが身近にいた幸せをかみしめていた。

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by rurou-no | 2017-08-31 11:03
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一瞬を、永遠に
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