明日は彼岸の入りやというのに何が名残惜しいのか、まだ冬がこの辺りをうろついている。こちとら何の未練もないから、早く何処へでも行ってくれっ。
からだが冷える上に体調が頗る悪くて、この面を埋める指先の仕事もままならない。
そうこうしているうちに、パソコンまでフリーズしてしまった。どないしょ。
と、一旦消して初めからやり直した。うん、今度は大丈夫みたいやけど?
今週気になったのは、3.11政府主催追悼行事の首相式辞で「原発事故」の文言が消えたというニュース。わざとその言葉を避け、事故はなかったことにしようとする魂胆が露骨である。事故被害者を貶める、なんたる非道なやり方か。
事故は6年前の出来事でなく、6年間ずっと現在進行形で続いているのだ。
「収束」などするはずもなく、原子炉内部がどうなっているかすらわからない状態で、廃炉作業の先行きは見通しが立たないのが現実である。
それなのに「避難指示区域の解除」てか。何をかいわんやだ。
責任ある立場の者があの事故をちゃんと反省しないで、原発の再稼働や電気代の値上げで責任転嫁しているから、放射能を出した方は責められず、浴びた子どもたちがいじめにあうことになる。こんな理不尽が罷り通る社会ってあかんのと違うか。
理不尽さは、敗戦後72年にわたって日本の安全保障のための犠牲となっている、沖縄の現状にも通じる。その仕打ちたるやひどいものだ。心の底から腹が立つ。
電気は足りている。原発は危険やし高くつく。勘定に合わんでぇ。欲ったれどもが!
もう一つ。このところ「教育勅語」を認める風潮が大手を振るようになった。「危急の事態には公に奉仕し皇室を助けろ」という勅(天皇の言葉)をだ。
「父母に孝行、兄弟仲良く、夫婦仲睦まじく、友だちとは信じ合い、行動は慎み深く、他人に博愛の手を差し伸べ・・・」云々とも。
勅語を肯定しようとする連中は、敗戦の歴史を学習しないで、自分の都合のいいように正当化したいのだ。第二次世界大戦で国土を焦土化し300万人の同胞を亡くし(世界中で8000万人の犠牲者が出たともいわれる)、そしてアジアの人々を殺した反省をしてないからや。懲りずに国のため命を捧げろと言うのか、まことに嘆かわしい。
送信しようとしたら、えらそうにタイトルを入れろと指示しやがる。
う~ん、こまった。表題の十七文字を思いつかないど。