例によって、困った時に登場するのは『ことわざ故事金言小事典』である。
今回も、例文が面白かったので採用した。48年前の文を無断引用させてもらう。
【白人の探検家が人食い人種の酋長に、二十年ぶりで再会した。「お前たちは、あいかわらず隣の部落の奴らをつかまえては食っているそうだが、この文明の世にそんな野蛮な行為を続けているなんて、絶対に許せない。」と白人いった。酋長はそのいまわししい事実をすなおに認め、改めるよう約束したが、酋長は白人たちの戦争について色々きいていたので、白人に、「戦死した人の処分をどのようにしているか。」を尋ねた。「もちろん、手厚く葬ってやる。」それをきいた酋長は大ゲサに叫んだ。「ほう、もったいない。食べもしないのにわざわざバーベキューするなんて。」】
改めて今読み返すと、比較文化として的を得た内容でもある。
飢えを凌ぐために食べる行為と、支配欲を満たすための大量殺人とでは、どっちが野蛮なのか。「正義の殺人」なんてあろうはずもないのに、敵と味方を作りだして、敵をやっつけることに、疑いもなく喝采を送るのは何故か。
私たちは幼いころから絵本などを通じて、「悪者退治」という概念を刷り込まれてきた。悪者(ワルモン)とは戦って、排除するべきだと教えられた。
その時、自分は常に正しい側にいる。あとは悪者を仕立て上げるだけ。そして思考停止の妄想に世界に身を置いていればよい。「正義」が大手を振る。
巷では、野党代表候補者の国籍問題をとやかくいわれているが、これはこの国に蔓延する「いじめ」の構造そのものだ。外国では二重国籍の政治家なんて珍しくもないし、それで弊害があるわけでもない。問われるべきは政治家として何をしてきたか、これからどうしようとしているのか、であろう。詭弁を弄して国土を荒廃させ、国民の生活と命を平気で切り捨てる政治家、をこそ問題にすべきではないのか。
今回はタイトルと内容がうまくつながらなかった。思いつきの雑文やからしゃぁない。同じ理由で書こうと思っていて、忘れていたことを思い出した。
先月25日は西の空に、29日は東の空に大きな虹が架かった。しかも東の空の方は二重の虹だった。昔ならさしずめ、天変地異の前触れとでも解釈できたやも知れぬな、と想像をたくましくしながら、天の贈り物に遊んだ。