今年の「流行語大賞」の有力候補が飛び出した。何にでも応用がきく便利な言い回しである。お笑い業界のギャグ、飲み屋の馬鹿話のネタ、ひいては日常生活の中でも使えそうだ。もっとも使い方を間違うと、相手を怒らすことになりかねないから注意しなけりゃなるまい。
厚顔無恥、あるいは厚顔無知、よくもまあこういう時にこんな言葉を使えたもんだ。
「新しい判断」
アホノミクスの失敗で、国の財政が破綻寸前にまで追い込まれているのを誤魔化さんがため、世界経済がどうのこうのと、とうとう外国のせいにし始めた。
挙句の果ては「新しい判断」だとさ。
アホノミクスは当初からアベコベノミクスであると、素人の禿頭爺にもわかる間違った経済政策だった。借金をして、円安株高を誘導し、どうなったか。
詰まるところ大企業と一部の富裕層、そして海外の投資家が恩恵を受けただけで、国の経済に何の好循環ももたらさなかった。当たり前や。はなからわかっとった。
今や大企業と中小企業、富者と貧者の格差が拡大し、にっちもさっちもいかないところにきている。千兆円を超える借金は、将来世代へ負担を押し付けているだけだ。
こやつはテメエの目先のことしか頭にない。考える力がないともいえる。結局、自分かわいさのアガ(自分)のミクスでしかなかった。このアガノミクスをまだあきらめないらしい。少しでも長く権力の座にしがみつく算段ばかりで、国の経済や国民の生活はほったらかし。あきれて、批判するのもあほらしなってきた。
「過ちては則ち改むるに憚ることなかれ」(論語)の助言も馬耳東風てか。
時を同じうして、口利きの見返りに金を受け取った大臣が不起訴となった。これも「新しい判断」なのか。検察のお墨付きを得たから、政治家は大手を振るって口利きと見返りの金を要求できるようなになった。これから、なんでもありのやりたい放題になるんやなあ。「社会的秩序」や「道義的責任」なんて言葉は死語になったんやろ。
「新しい判断」に勝るものなし。