この白い板の上は、もともと個人的な記録を旨として(時にジジイのボヤキの声が大きくなることはあっても)始めたので、特別な出来事は書いておかねばなるまい。
というわけで昨日、じいさんばあさんはふたり揃って町の開業医に出かけ、待合の長椅子に並んで腰掛ける仲の良さを発揮した。
年1回ある全町民対象の健康診断を何年も受診しないまま過ごしてきた、というよりもそこで病気を見つけられるのがいやで避けてきたのが本心である。
そんな横着な態度はいつまでも続けられるわけがない。わかっていたし、自覚症状もあった。
薬を服用しながらの長生きより、ぽっくり早く逝く方がいいとも思っていたが、ともに暮す相方がいる限り自分勝手はあかんと自省し、考え方を少し改めた次第。なんとか間に合った。
26日、1986年にあった旧ソ連のチェルノブイリ原発事故から30年が経った。アメリカのスリーマイル原発事故は1979年3月28日、日本の福島原発事故は2011年3月11日だ。
30年経とうが放射能は容赦なく、人が住めなくなった町は森にのみこまれていく。
世代が替り、町の記憶が失われることで町そのものも消滅する。
まだ5年にしかならないのに、福島は意図的に忘れられようとされている。
月1回の朝日論壇時評は、今月から小熊英二氏。【「うさぎ跳び」から卒業を】と題して「見当違いの努力」をテーマにしていた。この中で8番目に取り上げられていた論文、高山佳奈子「政治家によるメディアへの圧力は犯罪とならないのか」は、禿頭ジジイも前から思っていたこと。
権力者であることを勘違いしているバカな総務大臣が、いまだに罷免されていないのがどういうことなのか。どう考えても憲法を逸脱し、職権乱用した重大な犯罪だ。
それが問題にならないどころか、マスコミが萎縮しはじめた。民主主義指標23位の「欠点のある民主主義」はこういうところにも出ている。ちなみに「報道の自由度」では72位。5年前、民主党政権時代は11位だったのに、この急落は由々しき事態である。