カントの名著は 『永遠平和のために』 とするのが一般的だが、今回参考にした小牧治 『カント』 (清水書院・昭和46年3月1日第7刷発行)に倣って「永久平和のために」とタイトルした。
29日、昨年9月に強行採決で成立した、集団的自衛権を行使できるようにする、安保関連法が施行された。政府は殊更に他国の脅威を煽るが、実際は「戦争中毒国」アメリカの軍隊の指揮下へ自衛隊が入ることを意味する。つまり、いつでもどこでも戦争できる法や。
人を殺し殺される世界への通行許可証を手に入れたようなものだ。
それは、ゲーム感覚で大っぴらに破壊や殺戮が許される、権力者にとって魅惑に満ちた甘美な麻薬世界である。人の命を虫けら同様に扱える喜びは、敵を抹殺することはもとより、味方が殺されていく快感は、常に安全圏にいる権力者ならではのものだ。
ついこのあいだまで指しゃぶりが止められなかった、この国の権力者は力ずくで鍵を壊して窓を開けてしまった。その勢いでドアをも壊そうとたくらんでいる。至高の快楽を手に入れるために。
先日の報道番組で、ドイツのワイマール憲法についてレポートしていた(残念ながらレポートを聞き取れないので画面を見ていただけ)。その中で「あなたは知っていた」という文字が大写しになった。そう、いつの間にか知らない内に、戦争が始まったわけではない。
かつて、大政翼賛会が戦争一色へと国民を洗脳していった過程にも、段階があったはずだ。
メディアが政府の広報機関と成り下がって、国民の意識操作に協力した戦争前夜。まさに今や。
その愚を繰り返そうとしている、この国の姿を知らないとは言わせない。目を背けてはいけない。
スタッフにナチス信奉者がいるのか、忠犬アヘ公は頻りにヒトラーの言葉をなぞっている。ドイツ国民が扇動され喝采を送ったように、この国の国民もそうなると計算してのことだろう。米大統領選の共和党候補がいい例であり、元大阪府知事・大阪市長もそうだった。そして日本首相も。
物事を単純化し、敵を設定して差別的に攻撃するスタイルは、独裁者ヒトラーと重なる。
18世紀の哲学者カントはいう、「人を殺したり、人に殺されたりすることは、人間をたんなる道具や機械とし、人格としての人間の権利にそむくものである」と。
「平和か戦争かの決定権は人民の手にある。そして、戦争の悲惨な犠牲とならなくてはならぬ人民は、容易に戦争をはじめたり、それを永続せしめたりするようなことは、しないからである」
カントの永久平和論は、世紀を超えて現実に即したメッセージである。
♪♪ デカンショ デカンショで半年暮す よいよい
あとの半年や ねて暮す よーいよーい デッカンショ!♪♪
デカンショ節の「デカンショ」は、デカルト・カント・ショーペンハウエルのこととは、この歌を流行らせた西洋哲学かぶれした大正時代の旧制高生によるこじつけらしい。ええやないか。