物質にせよ現象にせよ、同じものでもどう見るかによって、違う表情が現われる。
タイトルは「に」からということで拝借した。「手」も握れば「拳」となって痛そうでも、開けば握手ができるし、肌に触れると気持ち良くもなる。要はどう使うかということ。
内田洋子さんの 『ミラノの太陽、シチリアの月』 を読んだ。
こんな洒落た本は田舎の町の図書館には置いてなくて、遠出した連れ合いが都会の書店で買ってきたものだ。カバーの裏に「随筆集」とあったので、暇つぶしの手慰みならぬ「目慰み」ぐらいにはなるかと手に取って読み始めたら、引き込まれてからだが前のめりになってしまった。
十話からなる文庫本を随筆集というより、上質の短編小説集として堪能した。
イタリア在住の著者が、現地で出会った人びとや遭遇した出来事を題材にして、達者で緻密な文章を操り、奥行きのある物語に仕立て上げている。
巧みな描写から、行ったことのないミラノの街や鄙びた村の駅、海辺の風景などが、目の前に現出する。そう、短編映画を見ているような、と言えばいいか。
特別なことは何も起きず、繰り返すだけの変化のない日常、と言ってしまえばそれまで。
同じ1日でも視点を変え、細部を観察すれば、新しい発見に満ちていることを教えてくれる。
読後感がいつになく気持ちのいい活字体験だった。これじゃとても活字離れは出来そうにない。
こんな文章を書いてみたいと思えど、凡庸なジジイには到底叶わぬことやな。
先月29日、日本政府は沖縄・辺野古の米軍新基地建設に着工した。権力は何をやってもいいんだとばかりに、ルールをも無視して強行するやり方は許されるはずもない。昨日は警視庁の機動隊まで導入して、抗議する沖縄のおばぁやおじぃに弾圧を加えた。
強者が力で弱者をつぶす社会なんてあってはならない。手の使い方を間違ごうたらあかん。
ラグビーワールドカップは、予想通りニュージーランドがオーストラリアに勝って連覇した。
プロ野球日本シリーズは、応援しているソフトバンク・ホークスが圧倒的な強さで連覇。
スポーツはルールに則って(時には審判のミスさえ許容しつつ)ゲームを行うから、安心して楽しめるのだ。一般社会もそうあってほしい。