前回告知どおり冬になった。この週末からまた夏になるそうだ。「三寒四温」「花冷え」なんて季節を表す言葉も、傍若無人の気象に追い払われて居場所を失ったのかもしれない。
上方落語の、というよりも上方芸能を象徴する存在であった桂米朝さんが、19日に亡くなったそうだ。89歳だった。今日、告別式が行われているはずである。
上方落語を愛好し、一時期は米朝一門が出演する落語会へ頻繁に出かけていた禿頭ジジイとして、ここはやはり落語の葬儀ネタ?で追悼したい。
2回続けて葬儀ネタやなんて縁起でもない、と思われるのはごもっとも。
ところが米朝噺の一席は、茶屋遊びに飽きた旦那が趣向を変えて楽しもうと、正月に馴染みの茶屋で葬礼のいたずらを仕掛けるというもの。
「けんげしゃ」とはゲンをかつぐ人のこと。マクラで語句の解説があってからネタに入る。
旦那がけんげしゃの茶屋へ出かけ新年のお祝いを聞く間もなく、茶屋の母娘が死んだ夢を見たと話し出す。そしてことごとくをゲンの悪いほうへもっていこうとする。
屠蘇を土葬、おせちの黒豆は苦労豆、数の子は貧乏の子沢山、昆布巻きは棺巻き、「棺巻きてなんでんねん」「棺桶を布で巻くやろ、中から死人(しにん)が顔を出してる」「ニシンでんがな、嫌やわぁ」・・・
「初詣で天満の天神さんへ行きたいなぁて」「菅原道真公、あの人は無実の罪を着て大宰府へ流されて1人寂しゅぅ死んだ」「木津の大黒さんへ行きまひょか」「大黒さんは大きに黒ぅ(くろう)すると書くなぁ」「戎っさんにするわ」「戎っさんは耳が遠ぉて目が近い」
そこへ前日の打ち合わせどおり葬礼の行列がやってくる。「冥土から死人(めぇどからしぶと)が迎えに来ました」「京都の御影堂(めぇど)に住む渋谷藤兵衛、略して渋藤(しぶと)や」
ミナミの芸妓衆、一竜と芝竜へは「生霊と死霊かいな」、絹松と小伝は「死ぬ松に香典か?」
徹底して縁起の悪い言葉遊びに終始する一席である。
最後は幇間が「あー、めでたいっ」としくじって、サゲとなる。
米朝さんといえば 『地獄八景亡者戯』 。あの世でも亡者たちを笑わしてるやろな。