大相撲初場所は大方の予想通り、横綱白鵬の独走で今日にでも優勝が決まりそうな流れである。他の力士の奮起を促したいところだが、実力差はいかんともしがたくなすすべがない。
連日「満員御礼」の垂れ幕が下がる盛況ぶりを横目に、テレビ桟敷はいま一つ力が入らない。
それもそのはず、贔屓の豊真将が6日目の16日に引退を発表したからだ。
好角家なら誰しも納得する土俵上の所作の美しさ、礼儀正しさは、単なる勝負事の格闘スポーツと一線を画す大相撲の一面を体現していた。併せて、猛烈な稽古で鍛えた足腰の強さで相手の攻撃を耐え、相手が攻め疲れた隙をついて押し出すという真っ正直な相撲に魅せられたファンも多かったと思う。
三役格の実力があり、大関を狙える力士であったが、たび重なる怪我のため番付の上下は甚だしかった。逆境に遭ってもめげずに這い上がってくる不屈の精神は、往年の魁傑や琴風(この2人も贔屓にしていた)を思い出させるものがあり、番付が落ちても勇姿の復活を疑わなかった。
残念だが、もう土俵に上がれる状態ではないのだろう。
引退後は年寄立田川を襲名し、後進の指導に当たるという。
願わくば相撲教習所で、所作の指導をしてもらいたい。
関取全般にいえることだが、力士としての所作の乱れが目に付くのはいただけない。
取り組みまでの手順を疎かにしていては大相撲の大相撲たる所以がなくなってしまう。
頭の上に大銀杏をのせて尻丸出しの締め込み姿なのは何のためか、水で浄め塩を撒くのは、拍手を打ち四股を踏むのは、敗者にも敬意を表して礼を尽くすのは。
一時期目立った「無気力相撲」はほとんどなくなったものの、勝てばいいだけの相撲では面白さは半減する。大入りに胡坐をかいていないで、継承するべきことと改革していくべきことを、常に見極めながらやっていかなければならない、なんてちょっとエラそうな物言いやな。
以上、豊真将の引退に思った。
さて、次からは誰を贔屓にしようか。