狂言の 『附子』 は、初心者にもわかりやすいので上演の機会が多い演目である。
それもそのはず、元ネタは鎌倉時代の仏教説話で、各地方の民話にも類型が見られるそうだ。
用事で出かけることになった主人は、使用人の太郎冠者と次郎冠者に留守番を命じるにあたって、桶の中には猛毒が入っているから近づいてはないけない、桶の中の風に当たっても毒にやられるから気をつけるように、と言い残していく。
そういわれると余計に気になるのが人の常、太郎冠者と次郎冠者の二人は桶の風に当たらぬよう「あおげぇ、あおげっ」と扇子であおぎながら桶の蓋を取ってみると、中には砂糖が入っていた。甘い物の誘惑に勝てない二人は桶の中の砂糖を夢中で平らげてしまう。(この時代、砂糖は貴重品で、舞台の所作から水あめ状の黒糖が入っていたと思われる)。
われに返った二人は叱られると一計を案じ、主人が大事にしていた掛け軸を破り茶碗を割ってしまう。帰って来た主人に、相撲をとっていて掛け軸と茶碗を壊してしまったので、死んで詫びようと思い毒だという附子を食べたが死ねない、とウソ泣きしながら言い訳する。
砂糖を食べられまいとウソをついた主人を逆手にとって、仕返しをする太郎冠者と次郎冠者。
おかげで主人は大切な掛け軸と茶碗を失うことになる。
この痛快で滑稽な挿話は、一休さんの頓智話にも似たようなのがあった。
こうした説話や民話、物語の中でこそウソは自分に返ってくるが、現実はもっとシビアだ。
大風呂敷を広げウソをつきまくる奴ほど喝采を浴びて支持される、という結果が昨日投開票のあった衆院選で表れた(但し投票率は52.66%)。正直者はいつまでも少数派に甘んじるしかないのか。魑魅魍魎が跳梁跋扈する政治の世界ならでは、ともいえる。
痛みを知る沖縄の人たちだけは、共、社、生、無、という賢明な選択をした。エライ!
ともあれ、国民が選んだのは弱者を切り捨て強者だけが生き残る、つまり大企業や一部金満家が喜ぶ政策を進める政党で、原発は年明けにも再稼動、すでに特定秘密保護法は施行されたし集団的自衛権の行使で自衛隊はアメリカの先兵となって戦争を始めるだろう。憲法9条は破棄され、民主主義は死語となり表現の自由も奪われる、そんな社会の到来を覚悟せなあかんで。
わが家は「非国民家族」決定や。