この男はそもそも「ことば」なんて、はなから信じてないのやろな。
舌足らずな口調で読み上げる役人の作文を、そこで使われている「ことば」の意味まで理解が及んでいないのか、或いは都合のいい解釈でよしとしているのか、どちらにせよ「ことば」を大事にする態度が見られない。「ことば」なんて言いっ放しでいいんだと、詭弁に詭弁を重ねていく様は「ことば」への敬意の欠けらもない。
私たち人間が長い歴史の中で獲得してきた「ことば」は、自分を表現し相手を理解する重要な道具であった。互いに「ことば」へ信頼を疑わなかったからこそコミュニケーションが成立した。相互理解や意思疎通のための強力な武器であることに揺らぎがなかった。
その「ことば」は、たとえデタラメであっても自信ありげに断定することで強引に事実をねじ曲げてしまう、1人の男によって貶められた。その男が発する「ことば」は極めて空疎である。そもそも信じていないから、相手に伝えようという気持ちが表れない。だから相手の言うことにも聞く耳はもたない。最近は「見解の相違」という逃げ口上を覚えたみたいだし。
妄想の世界に行っている男をたしなめる者はいないのか。例えば、「積極的平和主義」という語を真逆の意味で使い、それが真逆の意味のまま定着しつつあり、日本でしか通用しない用語となってしまった。得意になって話すアベコベノミクス(またの名をアホノミクス)は、円安株高で海外の投資家と富裕層、そして大企業に恩恵をもたらしただけだ。マスコミ連中も大企業の一員としておこぼれに預かっているから、景気が良くなったなんて一面的な報道をしてうれしがっている。本質は経世済民とはほど遠い政策であることは一切伝えない。そして世界の中で相対的に国力が低下していっている不都合な真実も。
近ごろ言い出した「地方創生」なんてのも選挙用であるのは見え見えで、地方は切捨てられたままである。「女性が輝く社会」といったって、女性でありながら女性の社会進出の足を引っ張ってきたお気に入りを大臣にするくらいだから底が知れる。これほど「ことば」を軽く扱い、詭弁を弄する手合いの口を塞ぐ手はないものか、と腕組みする。
9月27日、御嶽山が噴火した。かつて山歩きが好きで信州の山々を踏破したことのある者として、噴火に遭遇した登山者は他人事とは思えない。改めて、地震列島、火山列島に住まいしていることを思う。