中国の戦国時代、趙の公孫竜が説いた詭弁的命題。・・・堅くて白い石を目で見れば白いとわかるが、堅いことはわからない。手で触れれば堅いことはわかるが白いことはわからない。よって堅いことと白いことは同時には成立しない。
今回の内容とタイトルの意味するところは、使い方として正しいのかどうか、四字熟語を勝手に解釈させてもらった。というのも今日(1日)付新聞1面の記事について思うところがあったからである。
1面トップは大津市の中学生がいじめられて自死した問題で、市が設置した第三者調査委員会が報告書を市長に提出した記事。その下にあったのは柔道女子日本代表監督が選手にパワハラと暴力を繰り返していたことが明るみになって辞任した記事。
大津市の件では、前任者時代に起こったことにも拘わらず現市長は中学生の死を重く受け止め、パフォーマンスとの心無い批判を浴びながらも遺族に謝罪し、市側と遺族側が3人ずつ推薦した第三者調査委員会を発足させた。報告書は学校と市教委の対応を批判している。
柔道監督の件では、昨年9月に選手から訴えがあったものの、全柔連は注意だけで公表すらしなかった。次に選手らは連名でJOCへ訴える。JOCは全柔連へ調査を要請し、「戒告」という最も軽い処分で事を収めようとした。表面化しなかったら監督は守られ、選手らはさらに酷い仕打ちを受けたに違いない。これがスポーツ界の現実だから始末が悪い。
思い出してほしい。手抜き除染が報道されたとき、環境省は手抜きをさせた当事者であるゼネコンに事実関係の調査を依頼している。JOCも同じことをしている。この国では問題が起こると、当事者に聞いて何もなかったことにする非常識がずっと罷り通ってきた。調査は第三者に、という当たり前のルールすら確立されていないのだ。
大阪市の高校生がクラブの監督の暴力によって自死した件では、「指導に熱くなった」「愛の鞭だった」とかの言葉があったが、指導と暴力、愛と暴力は相容れない概念である。
この時、それまで体罰容認を公言していた当の大阪市長は自らの責任を棚上げし、強権的に学校内の問題へと矮小化してしまった。そうした強者が弱者に圧力をかけるやり方が生徒を殺したんや、ということをだれか教えてやらんとあかんで。