こんな映画で泣くなんて。感動させようとする魂胆が見え見えの製作者の企みにまんまと乗せられてしまい、瞼どころか頬まで濡らす羽目となった。
正月の3日、2ヶ月遅れで『北のカナリアたち』を観た。やっぱり大スター吉永小百合のための映画だった。驚いたのは回想シーン(40歳)を演じても違和感なく若々しかったこと。
ほんま化け物(いい意味で)や。
原案となった湊かなえの短編はそれほどの作品ではなかったが、舞台を北海道の離島に設定して脚本の那須真知子が大胆に書き換えた。そして花々が一斉に咲き乱れる初夏と、猛吹雪に凍てつく真冬の風景を撮影の木村大作が写し撮った。あとは阪本順治監督の腕の見せ所だったが。
阪本監督作品は『どついたるねん』をはじめとする初期の勢い、『KT』の鋭い切れ味などいい線をいっていたのに、『大鹿村騒動記』では病身の原田芳雄に遠慮していたのか、未消化な印象が拭えなかった。今回にしても、これぞ阪本映画と思わせるところをあまり感じられず、スクリーンでは木村カメラマンの「絵」がドラマを際立たせていたように思う。
さて、どこで泣いたかというと、始まって間もなく子どもたちが『カリンカ』を歌うシーン。その歌声に思わず落涙してしまった。あとはもう何度ウルウルしたことか。子どもたちが良かった。大人になった元子どもたちも良かった。はる先生のシーン(旦那や恋人)をカットして、もっと6人の子どもたちをじっくり描いて欲しかった。タイトルどおり、北のカナリアたち6人の映画にするべきだった。
そうすれば、若手俳優たちの代表作になったかもしれない。それほど、それぞれがしっかりと芝居をしていた。特に、森山未来と満島ひかり、初見の2人に目を奪われた。
と、ここまで書いて、この映画は「吉永小百合の映画」を撮るために作られた映画だったことを思い出した。そういう意味では過不足なく、カナリアたちのおかげでいい作品に仕上がっていた。
年齢とともに涙腺が緩くなってきているとはいえ、こんなに泣かせられるとは想定外だった。