年末に読んだ『松原右樹遺稿 熊野の神々の風景』で今さら気が付くなんて、と突っ込まれそうな無知というか、忘れ早い自分を思い知らされた。
ゴトビキ岩(神倉神社)へ何度か上っていたにも関わらず、だ。
たぶん新宮の人には常識だと思うが、そのことを特に意識していなかった。
太陽神の化身であるヤタガラスは、日本サッカー協会のマークに採用されていることもあって、熊野との結びつきはよく知られている。ヤタガラスまたはワタリガラスは神の使いとして神格化されるのは、世界各地で共通して見られる伝承である。
そして月神の使いがガマ(ヒキガエル)。この地方ではヒキガエルをダンビキ、あるいはゴトビキと呼ぶ。熊野には古代中国から伝わる日月神のシンボル、カラスとカエルがともにあるのだ。
このことは、本の中でたびたび引用されている、澤村経夫著『熊野の謎と伝説』でも触れていた。実は30年前に読んでいるのに、すっかり忘れていた。
ここで改めて強調しておきたいのは、熊野の神は「浄不浄を問わず」、ケガレを排除する伊勢神宮と違ってケガレを受け入れてくれる。ケガレこそが聖なる力となる、というのだ。ライ病に冒された小栗判官は熊野で再生する。不治の病であれ、たとえ死人であれ受け入れる。もちろん女性のケガレもない。だからこそ「蟻の熊野詣」といわれるほど参詣者が列を成した。
身内に不幸があると新年の挨拶を控え、初詣も出来ない。それほど信心深いわけじゃないけど。
前に同級会を社務所の広間で開いた時、鳥居をくぐれないからと参加しなかった同級生がいた。
祭りにさえ出られないなど、地元の神社でもケガレに対して強い抵抗がある。なんとなく村の掟のようになってしまっているが、熊野の神々にはケガレなんて何ら問題はないのである。
だからといってまったく気にしなくていいほど、田舎暮らしは簡単ではない。正しいかどうかで割り切れない部分があるから、うまく折り合いをつけながらやっていくしかないのだ。
暮れに読んだ本のせいで、正月早々ややこしくて面白くもなんともない投稿になって面目ない。