真冬でも素足に下駄履きだったころの反動か、すっかり冷え性のからだになってしまった。
気温が下がるにつれ足元、手先、背中、首筋、腰と、冷えは容赦なくじわじわと押し寄せてくる。
近ごろは、子どものころ親から教えてもらった「頭寒足熱」を呪文のごとく我が身へ言い聞かせて、寒さに備える日々である。年齢とともに耐性が弱ってきているのを自覚せざるを得ない。
例年より寒さが厳しい(友人が住む北見市は、な、なんとマイナス17度!やて)年末となり、貧乏人にはつらい状況だ。
エネルギー問題もさることながら、家計節約のため十分な暖房もできないまま着膨れした姿を笑いあうじいさんばあさんは、毎日風呂でからだを温められるありがたさを噛み締めている。
今年は伯父、従姉、従兄の奥方など身内に不幸が続いた。一方で、孫が2人誕生している。こうして順番に交代しながら人間社会が築かれ、人類の誕生から現在まで途切れることなくやってこれたのやなぁ、と思わず感慨に耽ってしまう。
今、地球という星に生きている私たちは、このかけがえのない環境を未来へと渡す責任がある。
私利私欲のため、すべてが有機的につながっている生態系を壊してはならない。
なのにどうして、民は間違った選択をするのか。正論はいつも隅へ追いやられる。
原発事故から避難した人たちの存在は忘れられ、事故原因の究明や被害者の補償はおろか「脱原発依存」は白紙に戻された。新設の検討に至っては何をかいわんやである。
「日米同盟強化」という名目で、沖縄の米軍基地問題もアメリカの言いなりだ。普天間飛行場移転どころか、危険なオスプレイの市街地での訓練も既成事実となってしまっている。
秋から暮れに掛けて日韓中3国は政治権力の世襲を許してしまった。北朝鮮を批判できないどっこいどっこいの体制であるのがこの国の現実だ。肝に銘じよ。
世間の風がますます冷たくなってきた。おまけに懐具合もやけど、これは別の問題か。
なにはともあれ、タイトルの「しりとり」もなんとか無事に年を越せそうだ。