訃報が続く。10日、小沢昭一さんが前立腺がんで亡くなった。83歳だった。
敬愛する川島雄三監督の映画に必ず顔を出し、脇役として光彩を放っていた。曲者揃いで個性の強い常連メンバーの中にあって、一見して平凡なサラリーマンのような風貌であったが軽妙で飄々とした芝居は、どこか常識から逸脱した変な人(ネジがだいぶゆるんでいそうな感じ)といった印象で、気になって目を離せない存在だった。
「小沢昭一イチ押し!」なんていうのも憚れるほど地味な位置にありながら、なんとも形容しがたいいい味を出していた。ほんとに芝居が巧かったんだと思う。
よく知られているように、日本の伝統芸能史の研究者でもあった。それも、放浪芸や見世物など「地べたの芸能」に造詣が深かった。
このあたりは小生の興味と重なっていたので、『私は河原乞食・考』や『日本の放浪芸』などの著作を読んで勉強させてもらった。また、ラジオ番組『小沢昭一的こころ』もときどき聴いていた。
会ったこともなく舞台を見たこともない、ラジオから聞こえる声とスクリーンを通してしか知らない人ではあるが、こんな洒脱な芸風と研究者の顔をもった先人がいたことは、しっかり覚えておきたい。
「洒脱」「飄逸」というものにずっと憧れていた。そういう人柄になりたいとどれだけ願ったことか。実際はそんな境地の欠片も得られない俗物であることを受け入れるばかりなり。このあかんたれめ。
ここでも、ちっとは気の利いたことを書きたいと思ってはみても、不器用でそれができない。
そんな「洒脱」とは対極にあるのが、今やかましい生臭くて私利私欲剥き出しの争いである。
下品で低レベルな有象無象から究極の選択をせよ、と一般人も巻き込まれる羽目になっている。
事前調査では、「みんな正気か?」と疑わざるを得ない結果が出そうだ。こんなろくでもない社会にしてしまった奴等にまた権力を握らせてほんまにええのんか?お先真っ暗やで。
情けないけど、否が応でもこんな社会に関わっていかなあかんのや。