1年半ほど前から古文書の勉強を始めた。
「人生50年」をとうに過ぎて、の手習いは、ことのほか面白くてやめられない。
江戸時代、明治時代の公文書の中から、郷土に関係する文書を主なテキストとしているが、わずか100年ちょっと前の文字なのに、なかなか読み進めない。
初めのうちは「くずし字」を目にして、まるでアラビア文字を眺めている趣きでお手上げだったが、だんだんと一つひとつの「字」が形を成し、どうやら同じ日本語らしいことがおぼろげにわかってきた。
「かな文字・変体仮名」=安(あ)、以(い)、宇(う)、衣(え)、於(お)、など五十音に対応している。
「異体字」=標準的な字体以外の漢字。パソコン文字にはない。
「返読文字」=有之(これあり)、不残(のこらず)、乍恐(おそれながら)、無油断(ゆだんなく)、等。
「略字」=文字を略して記号のような字になっている。
覚えなければならないことは山ほどあり、難読文字(やたら画数の多い難しい字や当て字)、難解語(現在使われている言葉でも意味が違ったり、同じ言葉であってもまったく相反する意味で用いたりする)などが頻出する上、公文書の書記係といえどもきれいな字を書く人ばかりでなく、中には腹立たしいほど個性的な字もあり、解読をしているうち、おのずと頭は沸騰してしまうのである。
一方で、古文書には沸騰した頭を冷ましてくれる役割ともいえる「慣用文」というのがあって、文末などに必ず使用される文言がある。これらが出てくると一息ついてホッとする。
御座候(ござそうろう)、無御座候(ござなくそうろう)、仍如件(よってくだんのごとし)、不及申(もうすにおよばず)、可申出事(もうしいずべきこと)、被差遣(さしつかわされ)、被仰付候(おおせつけられそうろう)、可有之候(これあるべくそうろう)、奉畏候(かしこみたてまつりそうろう)、相極候(あいきめそうろう)、候得者(そうらえば)、候得共(そうらえども)、等々。
毎日1~2時間、古文書の学習に当てている。学校へ通っていたころにこれだけ勉強していれば、なんて後悔先に立たず、やけど、勉強はいつやってもええんやから。