何年か前、言葉の語尾に「よ」や「よぅ」をつける話し方について書いたが、今一緒に仕事をしている人は語尾に「の」と「のぅ」を多用する。どちらもここら辺の一般的な使い方である。
ちなみに「よぅ」はタメ口っぽいニュアンスで、「のぅ」は少し改まった感じかもしれない。
上記の語尾は、どちらかというと町の中心部へいくほど使用頻度が高いような気がする。
その中心部から海を隔てた島のさらに東端に位置する地では、語尾は「のぅ」も使うが「のし」の方を多く耳にした記憶がある。なにしろ子どものころのことだから、たよりない。
「のし」を丁寧にすると、「のぃし」または「のんし」。
漁師町は言葉が荒いといわれるが、「~やのんし」なんてなんとものんびりした言葉ではないか。
使い方は「~だよね」という風に相手の話に対して肯定的に相槌を打つとき、「~やのんし」となる。
陽の当たる庭先で、手作業しながら世間話をしている姿が目に浮かぶようである。
もっとも「~やのし」なんて言い方をするのは、高齢者だけになってしまった。
言葉は生活とともにあり、変化していくものだ。懐古的になるつもりはないけど、「のし」「のんし」を語尾へつけるようなゆったりとした暮らし方は、もう望めなくなってしまったのか。
「のし」といえば、祝儀袋の右肩にあった「熨斗」も、近ごろあまり見かけない。昔は特別な場合に限らず、普段の付き合いのやりとりでも、印刷して簡略したものを使用するのが礼儀だったように思う。個人的には、さらに簡略化した「のし」とひらがなで書いたのが好きだった。右肩に「のし」と書き添えるだけで縁起物の熨斗鮑の代わりとなるなんて、どんだけ合理的なんやとツッコミを入れたくなる。互いに無理をしないで、なお且つ礼を欠かさない生活の知恵としてアイデアの勝利だ。
まだ都会での時間のほうが圧倒的に長いせいか、田舎の言葉も半端でええかげんにしか使いこなせていないし、「のぅ」や「のんし」も自分では使ったことがない。言葉は生活に根ざしている一方で土地にも根ざしているはずだから、だんだんと時間をかけて染まっていくのやろな。