あれぇ、また「き」へ戻ってしまっている。と、ここを開いて気が付いた。タイトルを考えるときは次のことなんて考えていないから仕方がない。とにかく「き」からだ。
明日で終わってしまうが、9月になると思い出すのが「片貝まつり」の奉納花火。
友人たちと毎年、尺玉花火「銀山錦」を奉納して揚げてもらっていた。
今年も9日と10日、無事に打ち揚げたと思う。この「片貝まつり」については前にも書いた。
「木遣り」のことも書いたような気がするが確認できなかったので、まぁええやろ。
片貝には、花火打ち揚げのときにお立ち台で唄う「奉納木遣り」と、花火玉を引き回しのときに各家の前で唄う「道中木遣り」がある。よそ者(浅原神社の氏子でない)である私たちは玉の引き回しはおろか、お立ち台へ上がることも叶わぬから桟敷席に陣取る。
そこで少しでも地元の人に近づきたいと覚えたのが「奉納木遣り」だった。
本町ニ丁目の (やぁなぁ なぁはよぅ なぁはよぅ よいせぇぇ)
本町二丁目の (や) 糸屋の娘 (は) (やれこのせぇ)
酌に出たそじゃ あの娘は良い子
年はいくつと 謎して問えば 姉は三七 妹はニ八
姉にゃ少しも望みはないが 妹ほしさに御立願かけた
お伊勢七度 熊野へ三度 芝の愛宕さんに そして月参り
かけた御立願 叶わぬときは ・・・・・
と延々と十ヶ所の願掛けが続いて そして最後に
あまり長いは 手子の衆の大儀
まずはここらで ちょいと切りしゃんせ
で、締める。
この「糸屋の娘」をモチーフにした木遣りは、各地で形を変えて唄い継がれているようだ。
おそらく江戸時代の俗謡
京都三条の糸屋の娘 姉は十八妹は十五 諸国大名は弓矢で殺す 糸屋の娘は眼で殺す が元になっているのでは(これもさまざまなバージョンがある)ないか。都々逸なんかで聞くとなかなか粋なもんである。