「近ごろの新聞って広告ばっかりやね」と、連れ合いがボヤくのも無理はない。それも、全面広告が増えた気がする。ちなみに今日の新聞では、36ページ中6ページが全面広告となっていた。
記事といっても少し前までの紙面はオリンピック一色で、そのあと高校野球が幅を利かせていた。
重要なニュースがあったはずなのに、こんなんでええんかいな。
こうなると、問題から目をそらすべく読者を誘導するため意図的にそうしているのではないか、と穿った見方はあながち外れてはいまい。
スポーツ大会は往々にして、不満のガス抜きとしての役割を担ってきた。
月に3千円も払う値打ちがないやないか!新聞の矜持はないのか!と振り上げた拳は、ついつい毎週月曜日には収めてしまう。この日だけは目尻を下げて、いそいそと紙面を開くのである。
目指すは「朝日歌壇」欄、真っ先に富山市の姉妹の名前を探す。
タイトルは20日に掲載された姉の歌、「日焼けする日ざし中二の夏休み黙って雲を見ている自由」から借りた。
同じ日、妹は「太陽がまだ飛び込んでこないから一番乗りのプールは青い」と詠んでいた。
理知的な姉は、小学生から中学生へと着実に大人への階段を上りながら言葉を獲得し、世界を広げていっている。この「黙って雲を見ている自由」はさらに大きく一歩を踏み出した印象を受けた。
一方、妹は感性の鋭さで秀でる。見る、聞く、触れるなど五感の体験を言葉に変換する能力は、弟子入りを請いたいと思わせるほど発想の豊かさに溢れている。
もちろん掲載作を通じてしか知らない姉妹ではあるが、いつしか親戚の子どもの成長を見ているような気持ちで、月曜日の朝を待っているのだ。
6日付には、子どもたちと一緒に母親のも掲載されていた。「最後まで地図を見る娘とその町の人に聞く娘と京を旅する」。
子どもにどのような環境を用意できるのか、大人の責任は重い。