一所不住



慙愧(ざんき)

仏教用語つながりで、タイトルは「慙愧」。
「慙」は自らの過ちを恥じること。「愧」はその気持ちを示すこと。
例によって『新明解』さんをひも解くと、「取り返しのつかない事をしたと強く悔やむと共に、自ら恥じること」とある。

福島第一原発事故について考えていたら、この言葉が出てきた。
事故から100日が過ぎても放射能の拡散は、とめどなく広がる一方である現状を前にして、暗澹たる思いから逃れられないでいる。
こんな取り返しのない事態を引き起こした同時代に生きるわたしは、原発の危険性を知っていたのに止められなかったことを、今の子どもたちと未来の子どもたちに詫びなければならない。

このたびの事故を受けて、ドイツとスイス、イタリアは脱原発へ舵を切った。
ところが当事国の日本では、経産相が原発の再開を要請するなど加害の大きさを認識していないとしか思えない動きに出ている。既得権益者である原子力ムラ(こいつらが一番反省せなあかんのに、反省どころか既得権益を守ろうと必死になっている)と経済界からの圧力があったと想像できるが、与野党が一緒になりメディアが後押しする「菅降ろし」も同じ流れにあるのだろう。どうかポスト菅政権には、脱原発への流れを止めないでほしいと願う。

人間の手に負えない怪物を作り出す、闇の構造を解体するチャンスは今しかない。
「原発がないと電気が足りなくなる」という嘘っぱちの節電キャンペーンに騙されてはいけない。
「自然エネルギーはコストが高い」も出鱈目だ。
電力会社はウソがばれるから関係資料を公開しない。つまり信用するに値しない会社なのだ。
大事故を起こした後ですら、データを隠蔽して公表しない企業体質は犯罪的ですらある。

一つの事故で町が失われ、人びとの暮らしが失われた。わたしたちもいい加減、誰かを犠牲にして楽な生活を求めるのは考え直すべきだ。沖縄の米軍基地問題も同様である。
「苦海浄土」で水俣病を告発した石牟礼道子さんは、「水俣病はふつうの事故ではなく、緩慢なる毒殺です」と本質を突いたが、原発もまた「緩慢なる殺人」を犯していることに変わりはない。
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by rurou-no | 2011-06-20 14:19
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