地形用語だと連れ合いから教えられるまで知らなかった。
「トンボロ」とは陸地と島が砂礫の堆積によってつながった地形のことで、砂州と陸繋島から形成される。砂州の部分も島の部分も、それぞれトンボロでいいようだ。
有名な所では函館市街地と函館山の関係がそうなる。
そして小生が住む本州最南端の潮岬は、函館に次いで2番目に大きいトンボロ地形だった。
海面すれすれの砂州地が串本町の中心で、住宅や商店街、行政機関、宿泊施設など集中して建ち並び、対岸の大島からの眺めは、海に浮かんでいる風情である。
古い写真を見るとトンボロの砂州は今よりも細くて、弓なりの砂浜は腰のくびれのごとく見事な曲線を描いていたが、近年の埋め立てによって贅肉がついてしまい市街地はやや幅広になった。
地形的には昔の方が断然美しい。便利と贅沢を求める人間の欲望は、どうやら環境と景観を破壊する方向へ作用するらしい。
贅肉たっぷりの脂肪太りを思わせる埋立地が済んだら、ダイエットに励むつもりか山を削って造成地を作るという工事のための工事を繰り返す愚かな土建屋政治は、半島の果てにある田舎町でも健在だ。かくして、中高年齢に差し掛かかったのか疲れた町の人口は減り続けている。
トンボロの町、串本は南海、東南海地震が連動して起こったら、津波による壊滅的な被害を受けるだろうと想定されている。自分なりに想像していた光景は、3.11地震で被災した三陸沿岸地域の町に重なった。その時どこにいるのか運次第や、という諦観に似た思いがあった。あっさりこの世とおさらばするのか、生きるための長い闘いに挑むのか、と。
1946(昭和21)年12月21日早朝に発生した南海地震では、串本町にも2.6mから5.4mの津波が3回押し寄せたと記録にあった。死者8人、負傷者42人、流失家屋17戸、破損32戸、床上浸水147戸、床下浸水139戸。次は100年に1度の大地震である。トンボロの町はまるごと流されて砂地だけになってしまうのやろか、それとも・・・。