「は」の次は音の「わ」とするか、字の「は」とするか迷ったが、ブログは書く行為だから字そのままの「は」からはじまる言葉で継いでいくことにした。
今月号の「芸術新潮」は、岡本太郎を特集していた。
岡本太郎といえば、行方不明となっていたメキシコで制作(68~69年)した巨大壁画「明日の神話」が2003年に発見されたことが記憶に新しい。
壁画は、アメリカの水爆実験で被爆した第五福竜丸の事件に触発された作品「燃える人」のテーマを引き継いだ縦5・5m×横30mの大作である。
現在、渋谷駅JR線と京王線の連絡通路に設置されているそうだ。
岡本太郎の代表作は何といっても、万博の「太陽の塔」。
科学技術の進歩を展示する博覧会は70年、大阪で開かれた。「月の石」が目玉だったように思う。というのも小生は万博へは行っていないから詳しくは知らない。国を挙げてのお祭り騒ぎにだれもかれもが出かけた(離れ島の鄙びた村からも万博行きのバスが出た)。だから、行かなかった。すでにそのころからへそは曲がっていたのだ。
こっちなら行ってみたいと注目していたのが、「反博」。万博に反対するから反博。反戦の博覧会だから反博。位置付けも曖昧なまま、大阪城公園に反芸術家や反戦活動家らが集まった。
残念ながら田舎のビンボーな高校生には、大阪は遠かった。
「太陽の塔」を初めて見たのは、民族学博物館友の会へ入会してから博物館がある万博公園へ出かけたときだった。その奇妙な構造物と対面した小生は、岡本太郎の凄まじさを思い知り、「万博会場でも見たかった」と曲がったへそをかいたのを覚えている。
さらに驚いたのは、太陽の塔の内部を再現して展示したのを以前は公園内にあった国際美術館で見たときだ。
そこには「生命の樹」があって、原生動物から人類に至る生命の進化の過程が表現されていた。個人的にもっとも興味を惹いたのは、薄暗い地下空間に浮かぶ世界中から集められた原初を思わせる仮面の数々(民博ができる前、民族学者らが調査地で蒐集したもの)。霊的な気が満ちていて異次元へ迷い込んだ、と感じた。ずいぶん長い時間そこから動けなかった。
近代思想に真っ向から闘いを挑んで、人間の根源を問いかけた「太陽の塔」とその内部の展示は、岡本太郎という存在そのものだった。
よくもまぁあんなものが作れたもんや。おそらく走り出した彼を誰も止められなかったんやろな。