明治時代のはじめ、イギリスの紀行作家が日本を訪れて東北地方から北海道を旅行した。
鎖国が長かったせいもあり、開国間もない神秘の国へやってきた外国人は多かったはずだ。
そのうちの一人がイザベラ・バードという女性だった。彼女は帰国後、「日本奥地紀行」を著した。
来日したのは1878(明治11)年。6月から9月にかけて東北・北海道をめぐり、10月には関西方面へも足を延ばしている。
彼女のことを知ったのはいつだったか思い出せないが、ひとりで日本にやってきて北海道まで行った行動力に驚き、この勇敢な女性に興味を抱いたのを覚えている。
と同時に彼女を案内した日本人通訳にも関心を持った。いったい何者なのか、どういう気持ちで外国人女性を連れて歩いたのか、調べてみたいものだと思っていたが「奥地紀行」すら読まないまま、うっちゃっていた。
中島京子「イトウの恋」は、青年ガイド伊藤鶴吉(小説では亀吉)が残した手記という形をとって、英国女性(小説では「I・B」)と2人きりの旅行を振り返っている。
面白いのはお互いに相手を「表情に乏しい」と思っている異文化への誤解(解説で鴻巣友季子さんも触れている)。そして秘境を見て回るつもりだった旅行者は、どこへ行っても初めて見る外国人として珍しがられ、見られる立場にあったことだ。
手記を発見した中学校の新米教師と生徒、イトウの孫の娘にあたる劇画原作者の3人が迷探偵ぶりを発揮して「イトウ探し」へ、最後まで退屈させない。母親ほど年の離れた女性に惹かれていくイトウの心情、小説ならではの設定(実際はどうだったのか)が読み物として効果的である。
この小説が成功したのは、「奥地紀行」をイザベラ・バードの視点ではなく、伊藤鶴吉の視点で再現したことにある。
鴻巣さんも「人物の数だけ視点がある。『人の数だけ物語がある』というのは、そういう意味だ」と書いていた。まったく同感だ。
とかくへそ曲がりの小生は昔から物事を素直に見ないで、斜に構えて見る癖がある。正面からだけでなく、横から、斜めから、後ろから、上から、下から、陰から覗き見、といろんな角度から見たら、同じものでも違って見えるからね。